移住後、初めて姫路へ
業務の一環で、姫路を訪問してきました。
ウィキペディアによると、奈良時代には播磨国の国府が置かれ、行政の要所となっていたことが分かります。
奈良時代、播磨国の国府が置かれた。本町遺跡が国衙跡であると推定されている。
江戸時代には、「西国将軍」「姫路宰相」と呼ばれた池田輝政によって姫路藩が成立し、姫路はその城下町として整備された。現在の市街地にも城下町の町割りが残る。
明治維新における廃藩置県の時期には、飾磨県の県庁所在地となった。しかし、1876年8月に飾磨県が兵庫県に編入されて以降は、兵庫県に属している。
ウィキペディアより引用
戦国時代の信長・秀吉の時代も、中国地方への交通、戦い、商売にとって重要な位置づけを担っていたそうです。
実際に足を運んで、業務として中心部からちょっと郊外まで足を運んでみると、なんとなくその理由が分かる気がします。
交通の拠点になっていることに加えて、広い平野部に田畑が広がり、農業、漁場も盛んな地域であるからこそ、人々が集まる場になったんだろうな・・・と勝手に想像していました。
世界遺産となっている姫路城。真っ白なお城見たさに、多くの観光客が訪れていました。
姫路北部にある書写山を眺めて。
今度は書写山には、秀吉や黒田官兵衛ゆかりの地である圓教寺があります。
そのエピソードはこちらに。
今度はぜひプライベートで時間を作って圓教寺に行ってみたいと思っています。
これ以外にも姫路にはまだまだ見所があると思います。
ゆっくり散策してみたいなと思いました。
ほんとに兵庫県は見所がいっぱいあります♪ 移住してよかった~。
--今日もすべてのことに感謝です。